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新元号はNかRかな [雑感]

新元号は、アルファベットだとAから始まるものだとみんな思い込んでいるようですね。安倍総理に忖度して、識者たちが決めるんだと。本当かなあ。

元号をアルファベットの略字にするとMTSHとなりますが、その次にAが続くと、MTSHAになります。なんだか「マッツァ」みたいに見えます。綴りは違いますが、マッツァとは、ユダヤ教で過ぎ越しの祭りに食べられる酵母が入っていないパンです。このパンの話は、旧約聖書の「出エジプト記」に出てきますね。日本人とユダヤ人をむすびつけたい日猶同祖論者たちには、いい材料を提供してくれるかもしれません。

意外にも、Aではなくて、わざと外して、他のものが選ばれる予感がします。でも、Cは絶対にないし、BとEは間抜けな感じです。Fも日本語としてはHですから、ありえないですし、Gは硬そうです。IとかJとかOは紛らわしいからないでしょう。DLPQUVXYは音としてなさそうです。とすると残る候補は、N、R、T、U、Wかな。Zはなんか終わりそうな感じですから、ないでしょう。Kの音は漢字によくありそうだから、使わないと思います。

ということで、N、R、Wが残ります。Wだったら、「和」を持ってくるかもしれませんが、あまりにありきたりです。

私の予想だとNかRかな。Nは皇太子徳仁親王の「なるひと」の「な」の部分ですし、Rは「なるひと」の「る」です。

もちろん、私の予想は、競馬評論家のように、必ず外れるでしょうけど。

いずれにしても、漢字の字面を見て、古臭い感じがして、がっかりするかもしれませんね。

そうそう、今年が平成31年だったことを、先ほど知りました。平成30年だとばかり思っていました。「平成」という意識がまったくなかったので、息子の誕生日が平成何年なのか、まったく覚えていません。西暦だとわかるんですけど。

明日の午前11時に菅官房長官が新元号を発表するそうですが、午前10時59分より前に生まれた人は、誕生日は平成31年4月1日になるのでしょうか。

菅官房長官は、小渕総理のように、いずれ総理大臣になるのかしら。だとしたら、本当にいやですね。国民の知る権利を侵害する「はぐらかし」しかしませんので、「その批判は当たりません。はい、次」という木で鼻をくくったような面白みのない答弁ばかりで、なんの話題も提供してくれない気がします。


追記:改元は5月1日だったのですね。

期日前投票とクルマの話 [クルマ]

11時頃、息子と二人で期日前投票に行ってきました。けっこう混んでいて驚きました。民主主義が死んでいない証拠なのか、現政権への不満をぶつけたいのか、それとも「平成最後」の記念投票ということなのかよくわかりません。

「C-HR」が苦戦?人気SUVが飽きられ始めた理由 | トレンド | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

SUVの凋落といいますが、SUVに関しては、ミニバンブームみたいにはなっていなかったはずです。ジムニーなんかとは違って、おしゃれなSUVは、なんちゃってSUVなんですから、昔のRAV-4みたいに、陰で馬鹿にされていたのではないでしょうか。「まーさんガレージ」のまーさんはC-HRがガンダムを想起させて格好いいと評価していましたが、私の好みではないですね。ガンダムも興味なかったし。

C-HRは、乗り出しで300万円ですから、一般庶民にはそう簡単には買えそうもありません。もし私にC-HRを買う余裕があるのなら、200万円で3年落ちのメルセデスかBMWを買って、余った100万円で海外旅行に行って、富裕層のフリをします。というのは冗談で、300万円もあったらしばらく貯蓄しておいて、株が暴落したら、すかさず株を買いますよ。使うのは上限50万円ですけど。残りは普通預金のままにしておきます。

話を戻しますが、C-HRをはじめ、SUVの多くは、図体がでかいので、日本の道路事情には合っていません。高速道路をかっ飛ばして旅行に行く使い方としては快適でしょうが、近所のスーパーに買い物に行くような使い方だと、日本の道は狭いので電柱にぶつけそうになりますし、駐車場でも停めにくいです。ストレスが溜まります。3ナンバーのクルマは本当に邪魔です。C-HRは、プリウスと同じで、後方の視界が極端に悪いので、それもいやです。最近のトヨタのデザインは、よくなったと評価する人もいますが、私の趣味からはどんどん離れていきます。私は1955年の初代クラウンみたいなのが好きですね。あの時代に戻って欲しいです。当時はクラウンでも今の軽自動車のサイズですよ。

仮に今クルマをどうしても買い換えなければいけない状況だとしたら、軽自動車を選びそうです。理想はコペンなどのオープンカーです。30万円くらいで手に入れて、自分で修理します。

私はフィットに11年も乗っているのですが、フィットはちょうどいい大きさで取り回しもよく、室内スペースも案外広いし、荷物もけっこう積めるし、燃費もそこそこいいし、税金や自動車保険もさほど高くないし、デザインも悪くはないので、大きな不満はありません。かなり気に入っています。唯一不満な点は、長時間運転すると腰が痛くなることです。シートの出来は悪いです。とはいえ、まだまだ手放すつもりはありません。

ベッキーさん「車はマニュアル!SUVしか乗りたくない」 愛車は21万キロも走っている模様www – ハイオク満タン速報~まとめR~

コメント欄を見ると、MTは事故率が低いとか言っているバカがいますが、いまどきMTの車に乗るような人はほとんどいないし、相当な車好きか、軽トラドライバーなので、事故を起こさないのは当たり前。だからといって、MTに乗れば事故を起こさないと思うのは、因果関係がわからない人です。

嘘つきなマスコミに洗脳されて、高齢者の事故率が高いと本気で思っている学生がいますが、私はそういうことを言う学生と出会うたびに、ネットでデータを調べさせて、その間違いに気づかせてやります。事故率が高いのは若い人であることが事実なのですから、高齢者にはクルマを運転させるなという彼らの主張が論理破綻しています。そうやって、若い奴らの高い鼻をへし折っています。そうやって、自分たちの思い込みを自分で訂正する機会を与えてやることは、大学教育の重要な要素だと思います。



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東京大衆歌謡楽団 ラジオ関西 [音楽]



長男の孝太郎さんはバイオリンをやっていて、かつてアイリッシュ音楽の演奏もしていたとのこと。なんだか、私には、わかります。私と同じ空気を吸っている感じがします。

彼らが歌う歌謡曲は、大日本帝国が満州を占領していた時代の音楽なので、大陸的と言うか、西洋音楽を日本独自に取り込んで消化しているというもので、非常に洗練されているように、私の耳には聞こえます。

彼らのファンのおじさんおばさんたちは、自分たちの兄や父親がよく聴いていたので、懐かしいと言ってくれるそうです



高島三兄弟の誰だったかがよく聴いていた曲だそうです。アーティスト名は知りませんでしたが、曲は何度も聴いたことがあります。



彼らの音楽をいまのボカロ好きの若い人たちの耳にはどんなふうに聞こえるのでしょうかね。浅草大衆オペラのスター田谷力三なんか知らないでしょうね。東京大衆歌謡楽団にも、このうたを歌ってほしいなあ。




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アイヌとタバコと武田邦彦さん [雑感]



武田先生のおっしゃるように、アイヌの人たちは平和的で正直な人たちでしたが、和人(我々日本人)は嘘つきで、やり口が汚いために、アイヌとの3度の戦争に勝利し、アイヌを支配下に置くことができたという話は事実に基づいています。しかし、アイヌの人たちはタバコを吸う人たちなので、平和的で、タバコを吸わない人たちは攻撃的だというのは100%の嘘です。武田先生もやはり嘘つきですね。息をするように嘘をつく「和人」ですからね。

旧日本軍の兵隊さんたちはほぼ全員タバコを吸っていました。タバコと攻撃性に関する因果関係や相関関係は科学的に証明されていないと思います。

この手の科学的な根拠がない主張を、「科学者」の看板を使って、さも科学的であるかのようにぶっこんでくることがあるので、武田さんの話はつねに眉に唾を付けて聞かないといけません。

YouTubeには、アメリカも中国も共産主義化していると語る武田さんの動画も上がっていますが、共産主義と資本主義と社会主義の定義もせずに、共産主義を独裁制と混同している、いや混同させようとしているところが悪質です。資本主義は、資本を拡大させることを経済活動の中心とする運動のことですし、共産主義は私的所有を放棄し、コミュニティーで財産を所有するという考えです。社会主義は、個人の自由を過剰に優先させず、経済的に不平等を感じないような社会を構築することを目指す考えです。いずれも社会体制を経済的な側面から見たものです。一方、独裁制は政治的な社会体制です。経済と政治をいっしょくたにしてしまうのは、よくある間違いですね。論理的ではありません。

男は、生物学的に、存在する価値がないという説をさも科学的であるかのように武田さんが語っている動画もあります。驚きました。科学者である福岡伸一さんもアリマキ(アブラムシ)を引き合いに出して似たようなことを言っていますが、人間のオスは存在価値がないとまではさすがに言いません。確かに、かつては生物は単性生殖が主でした。しかし、そうなるとクローンばかりになるので、遺伝子を変えた子孫を作り、環境に適応できる確率を上げるためにオスが誕生しました。その点で、存在価値があるのです。武田先生によると、オスは生殖活動をし、子孫を作った後でも、種の存続を図ることとして戦うことが男の役目だったが、いまは戦争もないので、やはりオスは必要がないと断言しています。ところが別の動画では、社会システムの構築は、近眼的な女性には無理なので、男性の役目であると言っています。支離滅裂です。また、尾崎豊の「15の夜」は、校舎のガラス窓を叩き割って、盗んだバイクで走り去ることをした末に、男は存在価値がないことに尾崎が気づいたことを歌っているという珍説を開陳しています。尾崎は、バイクも盗んでいないし、校舎のガラス窓も割っていないはずです。男女の区別の話もしていませんし、武田さんは論理が飛躍しすぎています。あの歌は、男女の話ではなく、個人は社会体制に対して無力であることを受け入れなければいけないが、受け入れたくないという少年の葛藤を歌ったものです。だからこそ、大人にも共感されるのです。男は必要ではないことを歌っているだなんて、視野が狭すぎますね。

「血糖値スパイク」もNHKの造語で、科学的ではない、日本人を病気にさせるためのNHKの陰謀だとも述べている動画があります。確かに英語ではグルコース・スパイクです。グルコースはブドウ糖のことですが、血液中のグルコースの量の値が血糖値というのですから、嘘を言っているわけではないでしょう。その程度のことを突いて、NHKは嘘つきだというのは、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」みたいなものです。小さな間違いを取り上げて、その存在を全否定するようなやり方は、論理的でも科学的でもありません。それは強権的な独裁者が、自分の考えに反することをした部下を粛清をするときに使う凶悪な論理です。

とはいえ、武田先生は、まともなこともきちんと言っています。南極の氷が解けて、海水面が上昇するという嘘は、確かに何度でも否定してほしいと思います。まさに、「アルキメデスの原理」です。小学生にだって分かる話ですよね。私もこれを15年以上前に武田先生の本を読んで、テレビに騙されていたことを知りました。当時はよく理系の学生にわざわざこの質問をして、その学生の知的レベルを測るために使っていました。

氷が解けたら水面はどうなるのお話 │ カガクのじかん

借金大国は嘘 [雑感]

日本が借金大国は嘘か 「財政が悪い」はまやかしとの指摘も - ライブドアニュース

財務省が嘘をついているというのは、もはや日本人の常識ですね。財務省の嘘と、世界にも認められたわけです。

明日、県会議員選挙の期日前投票に息子を連れて行っていきます。妻は、たぶん選挙には行かないのでしょう。妻は、自分たちの生活はどうなってもいいらしいです。なにか世の中に不満があっても、すべて私が悪いと考えるような視野の極端に狭い人ですから、選挙権なんかないのと同じです。いわば奴隷ですね。私も『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・ヴァルジャンのような奴隷ですが(パンを盗んだわけではありませんよ)、なんとかして奴隷の身分から脱したいので、投票に行ってきます。

私は、財務省の嘘に加担し、庶民を苦しめ続けている自民党と公明党に属していない議員を選びます。


主よ人の望みの喜びよ / バッハ【ピアノ ゆっくり】/pianomigite [音楽]



「ゆっくり」でも、私には速くて追いつかないので0.5倍速にして弾いてみました。大好きなバッハが弾けたことに感動しました。むしろ感涙です。もう主のもとに行ってもいいくらいです。素晴らしい。ああ、私は地獄行きでした。



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「嫌われる勇気」 [本]



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この解説動画を見て、私は『恋はデジャ・ブ』(1993年)という映画を思い出しました。原題はGroundhog Dayです。映画評論家の町山智浩さんによると、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』の永劫回帰とか超人の概念をベースにしているそうです。アドラーの「幸せになる3原則」を体現できたら、もう一度生まれてきてもまったく同じ自分の人生を生きられる、いや生きることを望むことができる「超人」になれそうです。

こういう(ビジネスマンが好きそうな)心理学に影響を受けた直後には、「よし、がんばろう!」という気持ちになりますが、すぐに承認欲求と競争と他者に振り回される生活に逆戻りするのが常です。人間は弱い生き物ですからね。そうして、自分のことが嫌いになっていくものです。そういう弱い自分さえも受け入れられるのであれば、ニーチェの想定した「超人」になれるかもしれません。

映画の中で、ビル・マーレーが演じる性格の悪い主人公は、同僚の女性を好きになります。彼女にいくらアプローチしても釣れない返事しか帰ってこないことに彼は苛立ちます。女性がビルを嫌うのは、ビルがあまりにプライドが高く、傲慢で、自分勝手な男だからです。

ビルは翌朝、ベッドの中でひとり目を覚まします。目覚し時計を見ると、表示される日付が昨日と同じことに目を疑います。時計が壊れているのだろうと思いながらも、その日のスタートを切るのですが、昨日とまったく同じスケジュールで動くことになります。そして、次の日もまた次の日もまったく同じ一日を生きる生活が続きます。時間の円環の中に閉じ込められてしまったわけです。

最初のうちは、その奇妙な生活を面白がって、ビルはいろんないたずらをして遊ぶのですが、とうとううんざりして自殺します。しかし、次の朝、また生き返ってしまうのです。永遠に自ら自分の人生を終わらせることができないという、絶望すらできない人生です。

毎日同じことの繰り返しや、いたずらにも飽きたし、とうとう、やることもなくなり、子供の頃に諦めたピアノ教室に通い始めます。先生の方は毎日ビルとは初対面なのですが、ビルの方は日々上達しているので、そのたびに驚かされます。そうして、ビルは自分のピアノが日毎にうまくなっていくことに喜びを感じる日々を過ごすのです。ある日、自分が想いを寄せている女性を喜ばせようと彼女の前でピアノを弾きます。ビルはみんなを愉快な気持ちにさせることが楽しくなり、次第に女性とも打ち解け、彼女と結ばれ、ようやく閉じられた時間の円環の外に脱出することに成功するというストーリーです。

当初、ビル・マーレーが演じる主人公は、「こんな仕事は役不足だ。俺のような才能のある人間がやる仕事ではない」という傲慢な態度を取り続け、周囲を不快にさせていました。そうやって彼は自分を否定していたのです。今の自分は本当の自分ではないと。それは他人と比べたり、競争して、他人の基準で自分の人生の意味を計測する行為です。自分は他人に承認されていないとぼやいていたわけです。これこそが、他人の人生を生きるということです。

途中、ビルは、彼女の気を引こうとして、彼女の好きなフランス語の詩(ボードレールだったか、ヴェルレーヌだったか、マラルメだったかわすましたが)を覚えて、彼女の前で暗唱するのですが、それも相手に合わせるだけの人生です。相手を喜ばそうとしても、それでは自分の人生を生きているとは言えません。本当にしたいのは、彼女に自分のことを好きになってもらうことであって、フランス詩を暗唱できるようになることではありません。

ピアノを始めたビルは、自分がそうしたかったような人生を生きることのみに集中し、他人の価値基準なんかどうでもよくなります。その時点で、アドラーに言わせたら、「嫌われる勇気」を持ったということになるのでしょう。自分自身を喜ばせることを純粋に追求したからこそ、他人を喜ばせることもできて、自分の人生を生きることができたと言って良いと思います。そういう人間が「超人」です。

「嫌われる勇気」というタイトルは、誤解を与えそうなタイトルだと前々から思っていましたが、けっこう誤解されているのではないでしょうか。アドラーの考えだと、傲慢になって、他人に迷惑をかけて、嫌われることを気にするなという意味ではないはずです。『恋はデジャ・ブ』の中の最初の頃のビル・マーレーみたいな傲慢な人になりなさいということではないでしょう。動画の中で取り挙げられているホリエモンは、初期のビル・マーレーのようにひたすら傲慢なだけです。この本は、ああいう人になってはいけないという本だと思います。まあ、読んだことがないのでわかりませんけどね。それに、読まなくても中身が想像つくので、読むつもりもありません。

朝っぱらから、家族が私に留守番をさせ、どこかに買い物に行っておりました。昼過ぎに、私がキーボードの練習をしているときに、彼らが帰ってきました。ドアを開けて、ピアノの音が聞こえた瞬間に、妻はため息をつきました。彼女は、朝目覚めるとため息をつき、私が仕事から帰ってくると、またため息をつきます。私がやる気を失う原因は彼女にあることは明白です。しかし、そういう迷惑な人に振り回される人生は金輪際、きっぱりと捨てます。

春休みには、どこかに行こうかと思っていたのですが、どこにも行く気がしなくなりました。妻は、図書館から『るるぶ』の奈良や京都編を借りてきました。誰かと旅行に行くつもりなのでしょうか。きっと私は留守番でしょう。万が一、「いまどこか行きたいところはない?」と誰かに聞かれたら、「そうさね、あの世に行きたいなあ。行ったことがないので。」と答えるしかありません。聞いてくれる人もいないので、そういう言葉をかわす可能性はゼロに近いですけどね。






こういう地獄に行ってみたいですね。





私は桂吉朝さんのが一番好きですね。師匠たちはみなさん天国で安楽に暮らしておられるのでしょうね。

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「てぃんさぐぬ花」の演奏で気づいたこと [音楽]

「てぃんさぐぬ花」は、「中中(工)六八七合六七」の八がない演奏だとやはり雰囲気が出ませんね。工工四を見ないで弾いていたら、自然に「八」を使って演奏していたのですが、自分が印刷した工工四には「八」がありませんでした。改めて違う工工四を探したら、「八」が使われていて驚きました。

八を使う際に、手のポジションを棹に沿って水平移動する必要があるのですが、「六」を押さえるときに、(本来ならば中指で押さえるところを)人差し指で押さえてしまうと良いことに気づきました。そのまま小指を伸ばせば、小指の先端が「八」に当たるのです。これからはこの練習もします。

「中中(工)六八七合六七」の中に「合」がありますが、これも面白いですね。私はずっと空白(休符)にしていました。自分で書いて今気づいたのですが、男弦(うーじる)の開放弦の音は、音と音の合間を埋めるためにしばしば使われますが、だからこその「合」なのでしょうか。

では、「工」は? 「合」ばかりで飽きたときに、気分を変えるために使われるからでしょうか? よくわかりませんね。

http://www.portama.com/kunkun4/preview.php?mno=8521

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