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電気料金払えなくなったマスターが東北電力と交渉 [雑感・日記・趣味・カルチャー]



行政も電力会社も無慈悲ですね。

で、その後、東北電力に天罰が下った?





三木のり平の宴会芸 [コンピュータ・ネット・テレビ]



ご存知、社長シリーズの『社長漫遊記』(1963年)から。

最高ですね。

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オンライン授業は大学教員の教育力の優劣をあぶり出す|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社 [資格・学び]

オンライン授業は大学教員の教育力の優劣をあぶり出す|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社

オンライン授業をするなら、複数の大学で複数の教授が教える必要がなく、放送大学みたいなものに一元化できるんじゃないか、という妄想を語っておられます。

その論理が通用するのは、教えるべき内容が、固定・限定されたもので、いっさい発展しないという前提になります。さまざまな学者が自分の研究や知見を踏まえ、それらを授業に生かしているという目に見えない部分を見ることが出来ないからこそ、こんな暴言が吐けるのでしょう。この記事を書いている人は、無能で、使えない人なんでしょうね。

さらに、この論理を敷衍すれば、「政治家なんか一人でいいんじゃね」とか「家電メーカーも1社でいいんじゃね」とか「言語も一つでいいんじゃね」「国もなくていいんじゃね」となります。多様性のないところには、発展はありません。多様性には意味がないと思った時点で、生物の進化・発展が止まり、人類は環境に適応できなくなり、絶滅します。

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物欲が失われてきています [雑感・日記・趣味・カルチャー]

数ヶ月も続いている自己隔離生活の間に、私の物欲(消費意欲)はかなり減退しています。

もちろん、食べ物や生活に必要なものは買いますけれど、不要不急のものであったり、贅沢品などはまったく買わなくなりました。2月に楽器(チェロ)は買いましたが、ヤフオクで1万円で落札したものですから、他人に自慢できる買い物ではありません。

私の場合は、実のところ、目下お金に困っているわけではありません。失業者があふれそうになっている中で、私は比較的恵まれている方かもしれません。そんな私でも物欲がなくなってきています。もしかしたら、世界中がそんな感じなのかもしれません。

しかし、物欲がないことは、環境に優しい生活を実現できる可能性を与えてくれています。これまで我々は環境に優しい生活を送らなければいけないと刷り込まれてきました。ゴミの量を減らせとか、化石燃料を使いすぎるなとか。しかし、意識の高い人ではなければ、そういう生活はなかなか実現できませんでした。それが、コロナ禍によって、エコ生活が実現できてしまったのかもしれません。

冷静に考えてみれば、我々は無駄な買い物をしたり、無駄な移動をしていました。週末しかクルマに乗らない人なんか、クルマを買う必要はありませんでした。海外旅行だってまったく必要ありませんし、国内旅行でもせいぜい近所の日帰り温浴施設で十分です。観光地なんか行っても、なんの勉強にもなりませんし、食べ物だって観光地価格で無駄に高くて、まずいものばかりです。無駄の極地です。

自粛生活の送る我々は、そんな無駄なものに触れることもできず、それに対する関心や憧れさえも失っています。結果的に、環境に優しい生活を送っているのです。

フランスの哲学者のジャン・ボードリヤールは、人は本当に必要なものだけを買うのではなく、他者との差異を生み出したいがために消費するのだと言っています。消費は単純にお金と自分が必要とするモノの交換ではなくて、自分の欲望を満たす行為であるということです。しかも、その欲望は、他者が欲望するものを欲望していると喝破したのがボードリヤールのすごいところです。簡単に言うと、人はたいていの場合、自分軸ではなく、他人軸で消費しているということです。誰かに自分が優れていることを示したいがために、無駄なお金をかけて海外旅行をしたり、高級外車を所有するわけでです。本当にその国について知りたいという意識があるのか、そのクルマを誰かにけなされても愛することができるのか怪しいものです。投資家は、自分が買いたい銘柄ではなく、他の人が買いそうな銘柄を買う習性があると言われますが、あれも同じです。自分が応援したい企業の株式を買う投資家など、ほとんどいないのでしょう。そういう姿勢を当然のものとしている生き方で良いのでしょうか。

現代人は、ある時点から、ボードリヤールの言うような他人の欲望を消費する生活をはじめました。それがポスト資本主義です。もしかしたら、そんな無駄があふれかえるポスト資本主義の時代は終焉が迫っているのかもしれません。1980年代末、ベルリンの壁の崩壊とともに共産主義が終焉しましたが、今回は、一度勝利したかに見えた資本主義(ポスト資本主義)が終わる可能性があります。われわれはソーシャル・ディスタンシングが要請される自己隔離生活の中で、他人の欲望を消費する必要がないということに気づいてしまったからです。フェイスマスクを常用していれば、美男美女である必要も、化粧をする必要もありません。実現しそうになっているのは、そういう自分基準の社会です。少なくとも、人間にとって本当に必要なものとは何かを考え直すべき時代が来ていることだけは確かでしょう。





2020年上半期の流行語を列挙してみる [雑感・日記・趣味・カルチャー]

新型コロナウイルス(Covid-19)
ソーシャルディスタンス
外出自粛(自己隔離生活)
不要不急
休業要請
アベノマスク
クラスター
オンライン授業(学習)
9月入学
Zoom(Zoom飲み)
PCR検査
緊急事態宣言
現金10万円一律給付(特別定額給付金)
アビガン
レムデシビル
パンデミック
コロナショック
コロナ禍

我々の生活をもっとも大きく変化させた犯人が新型コロナウイルスであるのは当然ですが、その対策である「ソーシャルディスタンス」は、人間の暮らしのあり方を再考させるものとして最も重要なものだと思います。

つい最近までソーシャル・ネットワークなどと言って、人間は誰かとつながっていることはよいことだというメッセージが氾濫していましたが、いまは正反対になっています。人は他人に近づいてはいけない、他者との接触は悪であるというものに変化してしまいました。

他者と距離を開けることは良いことであり、他人を守ることにつながるという感覚は、人間にはまだまだ慣れないものです。

ソーシャルディスタンスと聞くと、私は、小学校のクラスで昔は流行したイジメの一つの形態を思い起こします。イジメの対象を「バイキン」扱いするあの遊びです。世界中が誰かを「バイキン」扱いし、また自分もバイキン扱いされるという社会はけっして良いものだとは思えません。

もしかしたら、コロナが収束しても、バイキン遊びは人々の生活の中からは追い出せないものとなるかもしれません。この差別意識をどうやって終わらせるかが、人類の最大の課題になりそうです。この問題に真剣に取り組まなければ、人類の破滅につながるかもしれません。これは新型コロナウイルス以上に怖いことです。


VE Day: The Queen addresses the nation - BBC News [雑感・日記・趣味・カルチャー]

VE Day: The Queen addresses the nation - BBC News

かつて敵だったものが、いまは友になっているという最後の方の言葉が心に響きました。大切な人たちを守るためにともに戦ったということだけは、敵であろうと味方であろうと、共通する思いであったことを忘れてはなりません。


What kind of face mask will best protect you against coronavirus? | World news | The Guardian

泉友子・伴淳三郎「アジャパーサンバ」 [音楽・楽器]



アジャパー!

伴淳三郎のギャグを知っている人は少なくなったかもしれませんね。

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桜井長一郎「声帯模写」 [コンピュータ・ネット・テレビ]



なつかしいです。

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Still - Hillsong United | EASY Piano Tutorial [音楽・楽器]



簡単ですけど、素敵です。Hillsong United の曲はみんな落ち着きます。

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[ガズレレ] ORIGINAL LOVE「接吻」 Official髭男dism「イエスタデイ」 [音楽・楽器]



ほんと、かっこいいですね。



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