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トースター到着 [食べ物・料理]

トースターが到着しました。5年前に購入したアイリスオーヤマのコンベクションオーブンは廃棄する予定です。それと比べたら、ずいぶん小ぶりに感じます。

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デザインはスッキリしていて私好みです。

説明書を読むと、いろいろ焼けるようですが、私はトーストくらいしかする予定はありません。とにかく早く焼けて時短になれば、それでいいと思っています。

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「生ごみ出しません袋」 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「生ごみ出しません袋」「燃やすしかないごみ」年間2兆円のごみ処理減らす自治体の取り組み(井出留美) - 個人 - Yahoo!ニュース

日本人がいかに環境意識が低いか、世界ではすでに常識なのかもしれません。その事実を知らないのは日本人だけという状況でしょう。日本は「ゴミ天国」なのです。生ゴミは本来コンポストを使って土に帰すべきですが、日本は国単位でその作業を怠ってきました。そこがそもそもの過ちの始まりです。

生ゴミを焼却炉で燃やそうとすると焼却炉の温度が下がってしまうので、温度を高めるためにプラスチックゴミを投入します。だからこそ、プラゴミをリサイクルしようとしないのです。こういう悪循環で日本は「ゴミ天国」になっているわけです。

古いものは価値がないのだから、修理もせず廃棄。新しいものに買いかえるほうが安いという状態がこの40年以上もの間続いています。そろそろ価値観を根本的に変えるべきだと思います。官僚たちの意識の低さも税制に反映されいるので、そこも改革する必要があるでしょう。

何が何を意図しているかと言うと、新車登録から13年経った車への増税のことです。諸外国では、逆に長く大切に使い続けている車の税金を下げているのに、なぜ日本だけは高くするのでしょうか。それは環境意識が極めて低いからとしか考えられません。日本人なら誰でも知っていると思いますが、日本は街中タバコの吸殻や空き缶やペットボトルのゴミだらけです。カップラーメンの食べかすまで発見することがあります。近頃は不織布マスクもたくさん落ちています。そういう下劣な国なんですよ、日本は。


年寄りの繰り言 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

年寄りの繰り言みたいなものですが、「学生は店を訪れる客の側ではなく、商品やサービスを提供する店員の側にいる」という意識を持ってもらいたいと私は学生たちに毎年話しています。学生は教育というサービスを受ける側なのですから、お客様であると見なすのは自然なのかもしれません。しかし、その発想は間違っているし、世の中を悪くする幼稚な考えだと思います。教育はそんな単純なビジネスの図式では捉えるべきではありません。

以下、私が「学生=店員、教員=客」説を唱える理由を説明します。店側の人間は、客の要望を叶えるために、客が望む商品を調達したり、商品を見栄え良く並べたり、自分たちの利益を増やすために、さまざまな創意工夫をします。単純に誰かの指示に従っているだけではありません。教員は学生にいろんな課題を出すものです。その意味では、教員は店員に要望を出す口うるさい客に似ています。一方、店側の人間である学生はその要望に必死に応えようとします。大学では椅子に座ってぼんやり教員の話を聞いていればいいだけの授業もありますが、自ら授業を作り上げていくようなスタイルの授業も多くあります。そこで学生がしていることはまさに店側の人間がしていることと同じです。

責任という観点で同じことを言い直しますが、学生が大学で行っていることと、会社員が会社で行っていることは構造的に同じです。世間一般では、「学生」が会社に就職すると「社会人」になると思っている人がたくさんいます。彼らは学生には責任がないと言いたいのでしょう。しかしながら、彼らは「責任」の意味を理解できていないのだと思います。責任(responsibility)とは、誰かの要望に適切に反応する能力のことです。教員が求めることに適切に対応できる人は、会社ではクライアントの注文に適切に応えられる責任を果たせる人になるのだと思います。

責任感がある人は、他者に対するリスペクトの気持ちがあるものです。対象への敬意は観察する能力、物事の価値を正しく評価することができる能力そのものです。物事を多方面から冷静に観察できる人は、自分がすべきことを正しく把握することができるはずです。studyには、「じっくり見る」という意味があります。学問というのはまさにそんな観察から始まるものです。観察力があるからこそ、何らかの気づきがあり、対象を深く知ることができ、また不具合を見つけ、状況の改善に貢献できるのです。

この姿勢は会社に入ってからも有効活用できるスキルです。対象を観察することなく、自分の思い込みだけで事を処理してしまって失敗する人は、往々にして視野が狭く、他責的な姿勢に陥ることが多いと感じています。売上げが芳しくないのは、果たしてお客のせいなのでしょうか。いつまでも他人のせいにしてばかりいれば、いずれ近いうちに店が潰れてしまいます。それは会社にとっても、客にとって良いことではありません。

事ほど左様に、「学生」と「社会人」というのは連続しているものです。会社勤めの人だけが社会的責任を果たす「社会人」であって、学生は会社で働いていない(社会で暮らしていない?)のだから、無責任でも良いという発想はあまりに未熟だと思います。

※学生にこの文章を送ろうと思ったのですが、余計なお世話だし、余計なトラブルを回避するために、やめました。

藁人形みたいなもの [雑感・日記・趣味・カルチャー]

コロナ禍で広がるテレワーク格差 在宅勤務求めた非正規、雇い止めも 「まさに階級社会」と訴え:東京新聞 TOKYO Web

概して、年収が高いほど、テレワーク率が高まるんですね。でも、私なんか下層階級ですが、テレワークをしていますよ。一方、上級国民の官僚や政治家は、テレワークしていませんね。

「資本論」への関心高まる コロナ禍で“経済格差”など意識か | NHKニュース

温暖化や格差の問題の解消を求めると、おのずと(竹中平蔵的)新自由主義から(北欧的)社会主義へシフトしていくものですよね。社会主義と言っても、ベースは資本主義なので、我々はもはや資本主義からは逃れることはできません。資本主義というのは、資本(つまりお金)の拡大運動なので、資本主義を止めるということはお金をなくすことです。ありえません。

社会主義とちがって共産主義のほうは資本主義と対立するものと考えて良いですが、いまは世界中の誰も共産主義なんか望んでいませんよ。北朝鮮の市民だって(インチキな)共産主義にはうんざりしているはずです。

【東京五輪】<1>無理のしわ寄せで勤務シフトや安全点検が狂いっぱなし|日刊ゲンダイDIGITAL

菅政権は五輪を強行開催して、いかに日本はだめな国なのかを世界に証明してしまうのでしょう。やらなかったらやらないで、日本の能力の低さを証明してしまうので、それも問題です。「ニッポンは素晴らしい」と無根拠に言い続けてきたネトウヨの鼻をへし折ってやるには、どちらかといえば五輪が開催されたほうがよいのかもしれません。開催したらしたで、「頑張れば開催できるんだよ、日本バンザイ」と言い出すかもしれませんが、彼らは日本人の戦略的思考の欠如を思い知られることになるでしょう。すると、ネトウヨは矛先を変えて、日本を駄目にしたのはサヨクだとか言い出して、責任逃れをするはずです。

実は、ヤフコメを見ると、そんな責任逃れのサヨク攻撃はすでに始まっています。「自民党は保守ではなくなってしまった」と書いているコメントを見ました。何を言っているのか私にはわかりませんが、自民党はだいぶ前からリベラルです。保守というのは、世界的な文脈では、憲法や国家体制を維持する側です。既存の枠組みを破壊しようとするのはリベラルの方です。リベラルというのは、自由になることを思考する側のことですから。小泉純一郎や安倍晋三なんかリベラルの典型です。

右翼=保守、左翼=リベラルという図式はとっくの昔に崩壊しています。ヤフコメに書き込むような人たちは2ちゃんねるで育ったレベルの低い人達ですから、いまだにそんな図式にしがみつくしかないんでしょう。

自然環境を守れ、格差を解消しろと主張するのは、左翼の側だと決めつける人がいますが、一国民だけ人類全体の安全を祈願し、幸福を実現しようと努力するのですから、完全に保守的な思考です。木を切ってダムを作れ、道路を通せ、原発の汚染水は海に垂れ流せ、韓国や中国は敵だ、アメリカに守ってもらえ、という政党のどこが保守なのでしょうか。その行為は破壊だと思いますけどね。

ネトウヨが攻撃するサヨクというのは本来存在しない藁人形みたいなものです。ネトウヨが自分で自分のことを攻撃しているということに気づかない限り、日本は泥舟状態から救われることはないでしょう。